「進撃の巨人」と「マギ」の物語の男性性と女性性から見た、Sound Horizon作品の運命観についての評論

当サークルが夏コミ(C85)で、サンホラ考察本のノベルティとして発行したコピー誌に少し加筆したものです。
※「進撃の巨人」4巻まで、「マギ」11巻まで、「魔法少女まどか☆マギカ」のネタバレを含みます。

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)

マギ 1 (少年サンデーコミックス)

マギ 1 (少年サンデーコミックス)

6th Story CD「Moira」(通常盤)

6th Story CD「Moira」(通常盤)



 サンホラには、6th story「Moira」をはじめ、「運命」や「摂理」、「物語」「鳥籠」といった、人の一生を決定づける(あるいは、左右する)キーワードが多く登場します。これらについて考えることは、Sound Horizonの物語を語る上で必要不可欠だと思われます。そこで、講談社・別冊少年マガジンで連載されている漫画「進撃の巨人」と、小学館・週刊少年サンデーで連載されている漫画「マギ」の物語を引き合いに出して、私なりの感性で、サンホラの物語の運命観を考えてみようと思います。

 Sound Horizonの派生として生まれたLinked Horizonは、3DS用ゲーム「ブレイブリーデフォルト」の楽曲に続き、アニメ「進撃の巨人」の前期・後期両方のOP楽曲を担当しました。OPとなる二曲と、イメージソングの新曲一曲の合わせて三曲が収録されたシングルCD「自由への進撃」は正式な発売日の前日(いわゆるフラゲ日)から連続してCD売り上げランキング1位を獲得します。「進撃の巨人」作品自体も、pixivやTwitterなどのSNSの二次創作でも人気を集めているようです。
その「進撃の巨人」の前期オープニング曲「紅蓮の弓矢」に、『何かを変える事が出来るのは 何かを捨てる事が出来るもの』という歌詞があります。《危険性》(リスク)を背負わなければ、何かを叶えることはできない、と歌っています。
 何かを成し遂げるには、対価を払わなければならない、ということは「進撃の巨人」の原作でも言われていることで、この作品の大きなテーマのひとつにもなっています。調査兵団の団員の多くが命を落としたけれど、その結果巨人化した主人公エレンが壁に開いた大きな穴を塞ぐことができた一連のエピソード、そして「戦わなければ勝てない」という印象的なエレンの台詞からも、読み解けることではないでしょうか。アニメ版最終回でも繰り返された主張であり、アニメ版「進撃」のメッセージの結論部分にあたる主張になっています。
 ここで、当サークル発行物のMärchen考察本二冊目の「お姫様と王子さま」のなかの、グリム童話についてのレポートと関連付けたいことがあります。それは、「グリム童話を楽しんでいるのは、わたしたちの子供の部分である」ということです。

 -大人は童話の中で、願いごとが叶うと、裏に代償や苦労を想像しますが、子どもはこだわりなく喜べて、物語を楽しめます。そして、大人が願いごとが叶う場面を見て喜ぶとしたら、それは私たちの子どもの部分なのです。(「グリムと昔話についての考察」より)

 つまり「進撃の巨人」は子ども向けの作品ではないということになります。大きな成功の裏には、必ず何らかの犠牲があるという物語は、痛々しいまでに私たちが生きているのと同じ現実を私たちに見せてくれます。
 「進撃の巨人」では、運命に抗って生きることを道理としていて、反対に運命に従うことを奴隷・家畜と表現し、運命に抗ってこそ人間であるとする主人公によって話が進んでいきます。コミックス4巻収録の14話のなかの、エレンの親友アルミンが「なぜ地獄のような壁の外の世界へ行きたいと思うのか」という疑問に、「オレがこの世に生まれたからだ」と答える場面は、屈指の名シーンです。この14話のタイトルがそのものずばり『原初的欲求』で、作者がこの作品を通して言いたいことは、だから「人間は生まれたときから運命に抗って生きる欲求を持っている」ことである、と言ってよいと思われます。
 「進撃の巨人」の運命に抗うのを良しとする物語性は、現実的、衝動的、非合理的であるといえます。これを作者の諫山創先生の性別にちなんで「物語の男性性」とよぶことにします。

 一転して、同じくテレビアニメ化もされた漫画「マギ」をみてみると、物語の構成は全く変わった様相を見せます。この漫画も、「運命」が最大のテーマのひとつになっている作品です。
 初期には、主人公アラジンがもつ不思議な力や、彼の奔放な性格、「ジンの金属器」からよびだされる精霊ウーゴくんの圧倒的な力で、悪者たちを追い払ったりやっつけたりという場面がよくみられます。登場キャラクターの悩みやしがらみや、物語のなかの問題を一気に打ち破ってくれる、この「成功」にはその時点では何の代償も見返りもなく、見ていてとてもすがすがしい気分にさせてくれます。現在では物語が複雑化していって、なかなかこのようなシーンは見られなくなってしまいましたが、個人的にはこの初期のファンタジーらしさ、「おとぎ話」らしい話の展開が、「マギ」の好きなところでもありますし、大きな特徴のひとつではないかと思われます。「マギ」の登場キャラクターの下地になっているのは、「千夜一夜物語」という有名なおとぎ話であることとも結びつけられるのではないでしょうか。この、「進撃の巨人」とは逆の「非現実的」な部分が、つまり「マギ」の子ども向けの物語性の部分であるといえます。
 「マギ」のなかで、人はこの世に生まれたときから、歩むべき道に沿って生き、その流れの中にいるのが辛くても哀しくてもそれを受け入れて生きている、としています。運命に従いながら人を進化へ導いていくことが良いことで、それが創世の魔法使い・マギである主人公アラジンの役目になっています。運命に抗い、その進化の流れを逆流させることを「堕転」とよび、主人公が戦うべき悪としています。人には、鳥のようなかたちで描かれる「ルフ」とよばれる生命の魂の根源をもち、本来白くあるはずのルフが、人が自身の運命を呪い、恨みや妬みの感情につつまれたとき、その色が黒く変わります。11巻の104夜、アラジンの「運命を恨むことは不幸だからね」という台詞は、とても印象的なシーンです。このアラジンの台詞に、私は大きな衝撃を受けました。不幸であると言い切ってしまうところが、「マギ」の、作者の大高忍先生の凄さだと感じます。「Moira」のエレフや「進撃の巨人」の主人公エレンとは正反対の主張で、「Moira」の物語に馴染み、共感し、支持していた私には、この台詞で「そうではない!」と頬を打たれたように思いました。
 「マギ」の運命を受け入れるのを良しとする物語性は、非現実的、理性的、合理的であります。これを作者の大高忍先生の性別にちなんで「物語の女性性」とよぶことにします。

 決して差別的な意見ではないと先に断りを入れておきますが、このように、生きることは「運命に抗う」ことだというとらえ方は男性に多く、逆に「運命に従う」というとらえ方は女性に多い気がします。そしてこれらの物語の特徴は、男性的である/女性的である、といえるのではと思います。現実的、衝動的、非合理的というのは男性の特徴で、非現実的、理性的、合理的というのは女性の特徴であるということです。実質的な意味ではなく、象徴的な意味づけとしてあてはめるならば、運命に抗う男性は「能動的」で、運命に従う女性は「受動的」であるともいえるでしょう。
 例えば「Moira」のエレフを象徴する歌詞「~女神(Moira)は戦わぬ者に微笑むことなど決してないのだから」というのは、エレンの「戦わなければ勝てない」と同じ意味ですが、これは「運命」のなかに居ることを不幸ととらえ、運命と戦うことを美徳としていることの現れです。アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の登場人物のひとりである暁美ほむらは、自身の能力を使い何度も時間を戻して破滅の運命から主人公の鹿目まどかを救いだそうとしますが、これも「男性性」のある物語だといえるでしょう。少女達が中心で、主要キャラに男性キャラクターのいない「まどか☆マギカ」のなかで暁美ほむらは、鹿目まどかと対になる男性的な役割を担っていたのではないでしょうか。また、「Märchen」の「火刑の魔女」で主人公の修道女は、最初は修道院が打ち壊されたこと――運命に対して女性的なポジティブなとらえ方をしていましたが、最後はメルヒェンとエリーゼの導きによって運命に抗い復讐劇を遂行して、結局はネガティブな、男性的なとらえ方に変わっているということがわかります。
 7thアルバム「Märchen」の聖女エリーザベトは、運命に抗って復讐劇を繰り返す屍揮者メルヒェンの誘いを撥ね付けて「(人には)背負うべき立場と運命がある」と諭しています。「Moira」の主人公の生き別れの双子の妹アルテミシアも、生け贄に捧げるために殺されてしまっても、運命を恨むことはせずにそれを受け入れ、むしろ双子の兄エレフに出逢えたことを運命の女神に感謝しています。また「運命」とは「使命」とも言い換えることが出来ますが、この「使命」という言葉を好んで使い美徳とすることも、女性の特徴ではと思います。女性(女児)向けの物語であるいわゆる変身魔法少女ものには、選ばれた人間であるために戦う使命を背負わされ、魔法少女にはなりたいからなるわけではなく、既に運命を決定づけられた者だけが変身できるという展開がほとんどです。「美少女戦士セーラームーン」はその方向性を決定づけたものですが、セーラー戦士たちは遠い前世から、変身して敵と戦うことを義務づけられ、それがわたしの使命だから、とどんなに辛くともそれを受け入れ試練を乗り越えることを美徳としています。
 男性が運命という言葉を使いたいときは、哀しいことやつらいこと、不条理な出来事があったときで、女性が運命という言葉を使いたがるときは、嬉しいことや幸福なことがあったとき、ではないでしょうか。「運命よ!」と言うとき、男性は嘆き、女性は感謝するのです。ここに、男性の心の安定に必要なのは「社会的な地位」――能動的な行動の結果で、女性の心の安定に必要なのは「愛されること」――受動的な行動の結果、という男女の特徴の違いと関連付けてもいいのではないかと思われます。
 「物語の男性性」は、「運命」をネガティブにとらえるという方向性。「物語の女性性」は、「運命」をポジティブにとらえるという方向性なのです。


 ……しかし、これら二つの物語の特性は、正反対といえますが、それは表現の方法がそうなだけであって、結局は同じことを言っています。ですから本来は対立すべきではない意見です。
 Sound Horizonのメジャーデビュー前のCD「Chronicle 2nd」の中の一曲、「書の囁き」で<書の意思の総体>クロニカの言う「書の真理」とは、このことなのではないかと思います。「破滅の運命に囚われていた男」はおそらく何重にも絡めとられる運命=黒の歴史=予定調和の中に居ることを嘆いたのでしょうが、これと対になっている、運命を導く者であり物語の語り手とも思えるクロニカは女性性を担った存在であるといえます。物語の男性性からみればクロニカは打倒すべき悪になりますが、物語の女性性からみれば、クロニカの存在は秩序の象徴的存在であり正当な役割ともいえます。
 「Chronicle 2nd」に限らず、前述の通りSound Horizonという作品の中で語られる物語には「運命」の類義語がいくつもみられ、最大のテーマともいえます。そしてその捉え方の二面性までも表現しているということが、聴く人によって違う解釈を生み出すという効果をつくりあげ、多くの人を虜にしている要因ではないのでしょうか。この点が、Sound Horizonの大きな魅力のひとつであると感じるのです。



 2013年10月9日に発売のニューマキシシングル「ハロウィンと夜の物語」は、久々のサンホラ名義の活動での新作です。Linked Horizonでの活動を経ての変化はあるのか、いったいどのような物語が語られるのか、期待せずにはいられません。

ハロウィンと夜の物語 (通常盤)

ハロウィンと夜の物語 (通常盤)



以下は当サークルの発行物です。
「【C82新刊】火刑考察本」/「水戸オサム佐々木」のイラスト [pixiv]

「【C83新刊】姫王子考察本」/「水戸オサム佐々木」の漫画 [pixiv]

「【C84新刊】宵闇(他3曲)考察本、委託情報」/「水戸オサム佐々木」の漫画 [pixiv]